ステッカーを使う

ステッカーに関して思うことは人々のその使い方です。

人がステッカーを使う時というのは遊び心があると思います。純粋にこれを使えば楽しくなるかな、といった気持ちで使っているでしょう。そこには子どものような心があるような気がします。

いつのまにか日本も閉塞感が漂う国になってしまい本当に残念で仕方ありませんが、このような局面を打開するのが子どものような遊び心のような気がします。ステッカーを使うときのような気持ちで、人々が生きていけばよいのではないでしょうか。

アメリカのボストンに行ったときに、雑貨屋さんに入りました。なぜかはわかりませんが、ステッカーをたくさん買ってしまいました。

そういえば、ステッカー作成というとアメリカに関連したものが多いような気がします。遊び心がある国だからでしょうか。

なかには少々過激のようなデザインのものも見られますが、そのような過激というか奇抜なデザインのステッカーを作っているというところも遊び心を感じて私は好きです。なんだか今の日本というのは規則ばかりになっていて、常識的じゃないというような理由で新しい発想が受け入れられていないような気もします。

ステッカーというのは

ステッカーに関して思うことはそれが発明されたきっかけについてです。一体どのようにしてできたのか不思議です。

そもそも、ステッカーみたいなものが必要だから発明しようとしたのでしょうか。おそらく違うような気がします。電話やパソコンというのは、あれば絶対に便利ということで、発明する前から理想像をありありとイメージされていたと思います

ですが、ステッカーというのは特に必要なわけではありません。便利で楽しいものなので私は大好きなのですが、仮にその存在が無くなったとしても普通に生活できるような気がします。それを言うなら、電話やパソコンがなくても生活はできるのですが、でもこちらのものは無かった場合、不便さを感じます。もう毎日使っているものですので。

そういえば、電話やパソコンというと人々の生活を便利にするために作られたものだと思うのですが、これらのツールを使って仕事に追いたてられているのが現代のような気がします。便利になるために作ったのに、それを使ってさらに追い立てられていると言いますか。ステッカー作成とは直接的には関係ないかもしれませんが、このようなことを考えてしまいました。

ステッカーを自由に貼る

ステッカーというのは、楽しく遊べるものだということです。色んなところに好きなように貼れて、シンプルですがワクワクさせるものだと思います。このように自由とか、好き勝手できることが私は大好きです。

子どものころも、ステッカー作成を使って遊んだりしていました。何をしてもいいと言われると逆に困る人がいるそうですが、私はおそらくそのようなことはないと思います。何をしてもいいなら、どうしようか、と色んなことを楽しく考えてしまいますし、それを行動に移すことも楽しいと思います。いつからか、日本だけかはわかりませんが、自由に行動することが苦手になっている人が多くなっていたような気がします。

ですが、それは難しく考えることもないと思います。ステッカーを自由に貼るときと同じようなことだと思います。これをどこに貼れば、最も素敵になるか、活かすことができるか、そのような意識が人間を前進させてきた部分もあると思います。

ステッカーから非常に話が飛びましたが、実際に事実でしょう。自分で何かを創造することよりも、既にある答えを求める人が多くなっているように感じます。教育の影響力は大きいと感じます。

おすすめのサイト

ステッカーのオリジナル製作館では、企業のロゴ入りやスマホやスノボ用のカッティングデザインまで幅広く行っております。



Copyright (c) 2013 ステッカーに関して思うこと.